これまでの研究概要(九州大学) |
医薬品や農薬としての効用が期待される有機化合物の多くは、水酸基やアミノ基などの官能基を有している。 そして、これらの化合物の生理活性(人体や生物に対する影響)は、官能基の種類、位置、および立体化学(三次元構造)によって大きく依存することが知られている。 特に、化合物がキラルである(実像と鏡像を重ね合わすことができない)とき、鏡像異性体をつくり分けることが重要となる(このような反応を不斉合成反応という)。 これは、一般に一方の鏡像異性体のみが望みとする生理活性を示し、もう一方の鏡像異性体は単に効果が無いばかりでなく、生体内で有害な作用を引き起こすことも少なくないからである。 生物は“酵素”という高性能の“触媒”を利用して生体内で不斉反応を完璧に制御し、多様な生理活性化合物を(ほとんど無駄なく)生産している。 これら酵素の多くは金属錯体を内包していることが知られており、そこで様々な化学反応が高度に制御されている(活性中心)。 そこで私たちの研究グループ(香月研究室)は、酵素とはかたちこそ異なれ、その機能を規範とした光学活性な金属錯体触媒(不斉触媒)の創製を研究戦略として、生体内反応に匹敵する(あるいは酵素には真似できない)有機合成反応の実現とともに光学活性化合物の新しい不斉合成法の開発を目指している。 標的反応としては、有機化合物に官能基を立体選択的に導入する最も直接的な手段である「不斉酸化」を中心に据えた。 これまでに、図1に示す有機化合物(特に「配位子」と呼ぶ)である“サレン”と金属イオンからなる“サレン金属錯体”(いわば有機・無機化合物のハイブリッド)を触媒として、C=C二重結合のエポキシ化やC-H結合のヒドロキシル化など各種の不斉酸化反応の開発に貢献した (図1および2参照)。
しかしながら、これらの反応の実用化に向けてなお解決すべき課題は多い。 とりわけ、環境負荷や消費エネルギーの低減、さらには原子効率の向上(できるだけ無駄な副生成物を生じないということ)は大きな挑戦である。 言うまでも無く、理想的な酸化剤は空気中に無尽蔵にある酸素であるが、安価に入手できる過酸化水素もまた実用性は高い。 反応後にクリーンな水のみを副生するこれらの酸化剤は、上記の要求に応えるものである。 まだ道半ばであるが、共同研究者と共に不斉空気酸化反応の研究に注力し、最近5年間に多くの成果を挙げることができた(図3)。 以下に、これらまでに得られた主な研究成果の概要を述べる。 |
(1) キラルなサレンマンガン錯体を用いる触媒的不斉酸化反応の開発 二重結合の近傍に配位性官能基を持たない単純なアルケンの不斉エポキシ化の開発は、有機合成化学の長年の課題であった。 私たちの研究グループは、ジアミン部とサリチルアルデヒド部に不斉をもつ光学活性なサレンマンガン錯体がこの反応の優れた触媒であることを世界に先駆けて明らかにすることができた。 その後、軸不斉ビナフチル骨格を有する第二世代サレンマンガン錯体の創製へと展開し、各種のシス-二置換および三置換共役アルケンの不斉エポキシ化で従来にない高エナンチオ選択性を達成した。 現在、本触媒は(株)東京化成工業から市販されている。 さらに、サレンマンガン錯体が同様な反応条件下ベンジル位の不斉ヒドロキシル化ならびにスルフィドの不斉酸化を触媒することを見出し、それぞれの反応のメカニズムの考察からサレン配位子の合理的改良を行い、初めて高エナンチオ選択性を実現した。 また、サレン錯体のX線構造解析により、従来説とは異なりサレン配位子の非平面構造(キラル配座)が不斉誘起に重要な役割を果たしていることを見出すと共に、その配座制御要因を明らかにした。 これにより、それまで説明困難であったサレン触媒の不斉誘起機構を解明し、その後のサレン触媒の設計に重要な指針を与えることができた。 [Scheme 1J here] Scheme 1 (2) キラルなサレンルテニウム錯体を用いる触媒的不斉酸化反応の開発 光照射により活性化を受ける新規なサレンルテニウム錯体触媒の開発を行い、これまで実現が困難であったアルケンの置換様式に依存しない、末端から四置換の広い範囲の基質で高エナンチオ選択性を与える不斉エポキシ化の開発に成功した。 単純オレフィンの置換様式に関わりなく、このように高い選択性を示す不斉金属触媒は他に例がない。 [Scheme 2J here] Scheme 2 (3) 触媒的不斉空気酸化反応の開発 可視光照射により活性化されるサレンルテニウム錯体を用いて、ラセミ第2級アルコール類の不斉空気酸化 (速度論的分割) という新しい反応を見出した。 ラセミアルコール類の速度論的分割は合成化学的に非常に有用であり、古くからその方法が検討されてきたが、本反応はキラル分子触媒を用いる不斉空気酸化としては世界で初めての例である。 さらに、本手法を用いて2-ナフトール類の酸化的不斉カップリングやラジカル的不斉環化反応の開拓に成功し、反応機構の解明に大きく貢献した。 また、配位子の改良により、第2級アルコールの存在下で第1級アルコールの高化学選択的空気酸化の開発に成功した。 また従来反応とは異なり、ジオールから直接ラクトールを得ることもできる。 現在、本触媒は(株)東京化成工業から市販されている。 [Scheme 3J here] Scheme 3 |