熊本大学 理学部

Pure Science

アジア大陸での地質古生物学調査

地球環境科学コース 教授 小松 俊文

 そこには桂林に勝るとも劣らないカルスト地形が見渡す限りどこまでも広がっていた.「この辺りは,三畳紀の石灰岩が主体で,その向こうには古生代の地層がベトナムまで続いています」.中国人の共同研究者が遠くの山々を指しながら説明を始めた.20年ほど前,私は中国の研究所に籍を置き,主に南中国の三畳系で地質古生物学分野の研究をしていた.実際にベトナムの国土が見えていたわけでは無かったが,雲南省の南東部に来た時,地形図に記されていた中国とベトナムとの国境やベトナムの地質がずっと気になっていた.1900年代の後半から2000年代の初頭にかけて,中国では地質古生物学分野の発見が相次ぎ,それまでの学説を覆すような貴重な化石が,様々な時代,特に中古生代の地層から見つかっていた.羽毛恐竜や原始的な被子植物を含む前期白亜紀の熱河動植物群,先カンブリア紀の立体的な胚や藻類などの微化石,軟体部が保存された化石を多産するカンブリア紀のチェンジャン動物群は,本家のバージェス動物群を凌ぐ発見であった.また,多くのセクションや露頭がGSSPの候補地として名乗りを上げ,私の中国での研究の一部も,ペルム紀・三畳紀(P-T)境界に相当する三畳紀のGSSPと関係するものであった.地質調査は通常国ごとに行われるが,地層の分布に国境が関係しないことは,当然の事である.しかし,日本のような島国で調査をしているとそれを実感する機会が少なく,中国人研究者が何気なく発した「古生代の地層がベトナムまで続いている」という言葉が私の胸に刺さった.「中国での国際的な発見や重要なセクションはベトナムに続いている.ベトナムヘ行こう」.広大なカルスト地形を目にして,それまで漠然としていた思いが,自分の中で確信と決意に変わった.

 2006年にハノイで開催された国際会議に参加し,その後,ベトナム地質科学鉱物資源研究所で日本や中国での研究成果を1時間半ほど講演したところ,「北部ベトナムにおけるP-T境界の検証」と「古生代末期大量絶滅後の海洋生物の回復と適応放散」に関する2つのプロジェクトを実施できることになり,翌日には具体的な調査地域やスケジュールがまとまった.調査費用については,多少気になっていたが,ちょうど小泉政権下でベトナムを中心とした東南アジア支援の動きが活発になっていたため,政治・経済の波に乗ることができた.これ以来,私はベトナムで研究を続けている. P-T境界や前期三畳紀の二枚貝化石群集の回復から適応放散に関する研究は,ある程度の成果を出した後,現在も継続しているが,最近は研究室の学生と共にデボン紀後期の大量絶滅イベントとして知られているケルワッサー事変の特定やその絶滅パターンの解析,原因の究明などに力を入れてきた.またオルドビス紀の大量絶滅や古生代前期の研究もイギリス人研究者と共に実施している.最近の研究成果は,デボン系と考えられていた北部ベトナムの地層から多くのシルル紀後期の胞子化石を報告し,デボン紀・シルル紀境界がある可能性や共産するオストラコーダが汽水性のオストラコーダ化石群集として,世界でも最古クラスのものであることを明らかにした.また,カンブリア系からはベトナムでは初めてとなる微小貝殻化石群集を確認し,今後の研究によっては軟体部保存の化石が見つかる可能性があることも分かった.コロナ禍が収束に向かいようやくベトナムでの海外調査も実施できる目途が立ち始めた.年明けには,約3年ぶりのベトナム調査を実施する予定である.限られた時間の中で調査を行うため,数ある魅力的な調査地域の中からどのエリアを調査地域に選定するかが本当に悩ましい.

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